小さな編集部

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人生何者にもなれなかった24年前の自分に言ってみたいこと

はてブで話題になった「人生何者にもなれなかった、けど」を読みました。

anond.hatelabo.jp

読んでいて、自分のことかと思ってしまった……。

ここまで刺さる文章を書いてしまった時点で、筆者の方はもう、人生何者かになってしまったかもしれませんね。

ぼくは若いのころ、この方と同じような悩みを抱えつつ日々を過ごしていて、何者にもならないまま年月が過ぎて、すっかりおっさんになりました。

おっさんになると体力も気力も落ちてあまりいいことはないわけですが、若いころよりも多少冷めた目で自分を見られるというメリットもあります。

今、昔の自分を振り返ってみると、もうちょっと楽に生きられたなあと思います。

というわけで、人生何者にもなれなかった24年前の自分(当時24歳でしたが、まだ学生をやっていました)に言ってみたいことを、書いてみようと思います。

以下、建前として自分に向けて書くわけですから、おまえ呼ばわりのため口になります。

言ってみたいこと①:なぜ「何者」になりたいの?

おまえは小説家になって小説を発表し、たくさん賞を取って有名になりたいと思っている。可能であれば国語の教科書に載るくらいの小説家になりたいよな。100年後も本屋の棚に自分の作品が並んでいたら最高だよな。

でも、なんでそんなに小説家になりたいの? だっておまえ、書きたいことなんて何もないじゃん。

パソコンに向かってキーボードに指を置き、小説を書き始めようとするけど、全然書き進められないよな。たまに書けるときがあっても、次の日に読み返してみると、ひどくくだらなく思えて削除してしまうよな。

パソコンに向かわないときにも小説の構想をよく考えているけど、考えることは毎日のようにぶれるよな。何かよい作品を読むと、すぐに影響を受けてしまうよな。

それは、おまえに書きたいことが何もないからだ。

おまえは小説を書くことではなく、本当は小説家としての名声を求めている。名声がほしいから小説家になりたいのであって、書くことがあるから小説家になりたいわけじゃないんだ。

特別な名声を得るためには、特別すごい小説を書かなければならない。これまでにないほど独創的かつ斬新なものが必要だ。そう思えば思うほど、おまえは何も書けなくなるよな。だって、自分の人生を振り返っても、独創的かつ斬新な経験なんてないんだから。

言ってみたいこと②:「何者」になってどうするの?

おまえは著名な小説家になって名声を得て、まわりからちやほやされたいと思っているよな。大学で話題の人物になったり、教授に驚かれたりしたいよな。友達から一目置かれたいし、小説がきっかけで、気になっている子が自分に惚れてくれたら最高だよな。

でもそれは、おまえが人間関係に自信がないからそう思うだけだ。人間関係の構築が苦手なところを、特別な名声でフォローできたらいいと思っているんだ。

おまえは心の中では、まわりにいるのはくだらない奴ばかりだと思っている。だけど本当は、まわりとうまくコミュニケーションがとれないから、くだらない奴ばかりだと思い込みたいだけだ。

まわりとよい関係を築きたいのだったら、パソコンに向かうのではなく、誰かと一緒にいることに時間を使ったほうがいい。魚を釣るときは海や川に行くよな。おまえは山に行こうとするからうまくいかないんだ。

コンパや買い物の付き合いはくだらないと思っているよな。だけど、誰かと一緒にいること自体にはとても意味がある。それこそ、小説の筋書きを考えることよりは何倍も。

あと、気になる子がいるみたいだけど、ろくに話したこともないのに気になるとかアホなのか。とにかくおまえには人との会話が足りない。浴びるほど人と話をするべきだ。大学を出てしまったら、そんな機会はなかなか得られなくなる。

でもまあ、深く掘り下げてみると、おまえが名声を得たいのは、本当は親に認められたいからかもしれないな。何者にもなれなかったら、親に捨てられるかもしれないと、ずっと恐れながら生きてきたんだよな。

親に養ってもらっているのだから気持ちは分からなくもないけど、社会に出て自立したら、親に捨てられたとしてもなんともない。大学を出たら、おまえはもう自由の身だ。

付け足しておくと、何者にもなれなかったら親に捨てられるとか、はっきり言っておまえの錯覚だからな。親はおまえのことを心配して厳しいことも言うかもしれない。だけど実際のところは、親なんて子が長生きしてくれれば、それだけで十分なんだ。

言ってみたいこと③:「何者」になれなかったら死ぬってマジなの?

おまえは作家や画家の悲劇に憧れているよな。死後に圧倒的に評価されたゴッホとか、青木繁とか好きだよな。自分もこのまま書いた作品が評価されなかったら、病気になって死んでしまったり、自殺したいと思ったりしているよな。

予言しておくけれど、おまえは今から9年後の33歳の時に癌が見つかり手術をする。さいわい死なずにすむが、それから10年近く、再発におびえながら生きることになる。

医者にがんが見つかったと言われた日の夜は、大人のくせにみっともなく泣いてしまったからな。再発におびえていたときは、縁起の悪いものが怖くなって、電車の4号車とか、ビルの4階なんかに行けなくなった。

おまえは願いが叶わなければ死ぬなんて思っているけど、実際に死に直面するとそんな思いは吹き飛んで、情けないほどおびえるだろう。おまえが悲劇的な死に憧れるのは、死ぬことがどんなに怖いか知らないからだ。

さらに言えば、子が死んだときに親がどれだけ悲しむかを知らないから、そんな空想が気安くできるんだ。繰り返すけど、何者にもなれなければ親に捨てられるとか、おまえの錯覚に過ぎない。

言ってみたいこと④:「何者」にもなれなかった後の人生が怖いの?

おまえは恐れているよな。何者にもなれなかったとき、残りの人生に何があるのかと。確かにそこには、なんとか文学賞の授賞式とか、有名人との交流とか、豪邸での暮らしとか、そういうものはないだろう。

おまえは今から13年後の37歳のとき、自分は何者にもなれないと悟るだろう。仕事を辞めて家にこもり、9カ月くらい、小説の執筆に専念しようとしたんだ。だけど、何も書けなかった。そのとき、ここまでやって書けなければもう自分には無理だな、と思ったんだ。

不思議なことに、人生何者にもなれないと悟ってからのほうが、毎日が楽しくなった。仕事は生活のためにと思ってやっていたけど、仕事の面白さに気づくようになった。

おまえみたいなひねくれ者にも結婚してくれる人が現れて、やがて子を授かるだろう。小説家になるのを諦めてから、家族との生活の中にいろいろな楽しさがあることに気づいた。

フードコートで食事をする家族って、おまえは嫌いだよな。だけど、そんな瞬間にも楽しいことや嬉しいことがみつかるだろう。

はっきり言って、37歳まで何者かになろうとするなんて、おまえは頑張りすぎたかもしれないな。せめて10年早く諦めていれば、人生にもっといろいろな発見があったかもしれない。24歳のおまえには、そのことを知ってほしい。